北海道根室市を知ろう! ~根室の歴史です~

 

根室市民憲章(昭和43年8月1日制定)
わたしたちは、太平洋とオホーツク海に望む日本の東、白鳥の群れとぶ美しい自然のなかに生きる根室市民です。
わたしたちは、たくましい開拓精神とゆたかな北方文化をうけつぎ、更に理想の郷土をきずくため、開基100年に当たりこの憲章を定めてあすへの誓いといたします。
①郷土を愛し、美しいまちをつくります。
②健康で働き、豊かなまちをつくります。
③教養をたかめ、文化のまちをつくります。
④きまりを守り、住みよいまちをつくります。
⑤生活を楽しみ、明るいまちをつくります。
⑥北方領土の復帰をはかり、平和なまちをつくります。

根室の花、鳥、木、スポーツ
市の花は、ユキワリコザクラ
市の木は、千島桜
市の鳥は、白鳥
市のスポーツは、卓球
 
市 章
 
大正14年2月13日に制定されたものを市制施行後も引き続いて市章としました。カタカナの「ロ」字6個を円形において「ムロ」を表し、中央の「ネ」字の端と連携をとって「ネムロ」とし、赤色は光り輝く未来への発展を表したものです 


(作詞:根本基之/作曲:飯田三郎) 1964年(昭和39年)8月1日制定

のぼる陽の光ゆたかにながれとぶ雲はかがやく弁天の島も絵と晴れ躍進の希望にはずむおお根室興そう若いふるさと

父祖の地の歴史たたえて飛ぶ鳥の声のあかるさこの街に力あふれて生産の歌もほがらかおお根室伸ばそう海のふるさと

人の和にくらし楽しく明日の夢灯る街なみあたらしい文化きずいてとこしえの平和をまねくおお根室謳おう夢のふるさと

 

根室市のあゆみ
根室の開拓は元禄年間に始まり、明治2年に開拓使松本判官が属僚130人を 連れ来往し、根室市の基礎を築きました。
 
明治13年に郡役所と戸長役場が置かれ、更に同15年には北海道三県の一つ として根室県庁が設置され、根室の開拓が進みました。
 
蟹、昆布、鮭等の北方領土近海の豊かな資源に恵まれ、水産業を中心に発展し同33年には人口14,000人余りを数え、道東一の活況を見せました。
 
昭和20年の戦災によりマチの大半を焼失し、更に北方領土をソ連邦に不法占 領されたため人口は減少し、産業、経済の復興も一時は危ぶまれましたが、北洋漁業を中心とした水産業で立ち直り、我が国有数の水産都市として発展してきま した。

昭和32年、根室町と和田村が合併して根室市が誕生、更に同34年に歯舞村 を編入、同42年には人口49,000人を越えましたが、同52年の経済専管 水域200カイリ施行さらに平成4年からは公海での鮭・鱒沖取り禁止などによ り、漁獲高が減少し厳しい状況に置かれています。

新しい海洋時代に対応するため、沿岸漁業資源の増養殖をはじめ水産資源の高 次加工などの振興策を積極的に行っています。また、北方領土返還要求運動の原 点として、ロシア国との友好関係を保ちながら一括返還に向けて運動を展開して います。

年 表(とりあえず、2000年までです。随時更新予定)

■1635年(寛永12年)
 松前藩、蝦夷島を探検。国後、択捉や北方の島々の地図ができる。
■1644年(正保元年)
 松前藩が自藩領地図を幕府に献上。
 その中に郷調(くるむせ)として39の島々が描かれている。
■1754年(宝暦4年9月)
 珸瑤瑁海峡の航路を開き、根室に運上屋を置く。
 松前藩が国後場所を開き、択捉、得撫までの交易場所とする。
■1790年(寛政2年)
 穂香、幌茂尻の二部落に本番屋が置かれる
■1792年(寛政4年9月5日)
 露帝エカテリーナ二世、近衛中尉、ラクスマンを通商のため根室に派遣。
■1798年(寛政10年)
 近藤重蔵、択捉に渡り「大日本恵登呂府」の標柱を建てる。
■1799年(寛政11年)
 幕府の属地となり奉行庁舎を根室に置く。
 その後は松前藩、仙台藩の所轄となる。
■1855年(安政元年)
 日露通好条約を結ぶ。
 国境を択捉島と得撫島の間とし、択捉以南を日本領と確認。
 樺太はこれまで通り境界を設けない。
■1868年(明治元年)
 東京府の属地となる。同年4月、箱根村の管轄となる。(和田地区)
■1869年(明治2年)
 開拓使の開設によりその所轄となる。
 同年9月開拓使松本判官が属僚とともに移住民130人を率いて来住し、
 開拓使役所を根室に置く。根室開拓使役所の管下となる(和田地区)。
 同年8月、根室国を置き郡を分け、今の歯舞地区を花咲郡とする。
 北米航路測量の際に標木を建立。(納沙布灯台の起源)
■1872年(明治5年)
 3月:根室郡役所を根室支庁と改め、管内要所に出張所を置く。
    官立根室病院創設。
    花咲郡を四村に分け、花咲、友知、沖根婦、珸瑤瑁とする。
   (歯舞地区)。
 6月20日:弁天島灯台点灯。
 7月12日:納沙布灯台点灯。
■1875年(明治8年)
 根室町区画完成、町名を定める。郵便局開設邏卒屯所創設される。
 花咲郡の中に沖根辺、歯舞、婦羅理の三村を追加。
■1879年(明治 12年)
 7月1日:松ケ枝町1丁目に根室測量所(測候所)を創設し気象観測を開始。
■1880年(明治13年)
 各出張所を廃し、郡役所、戸長役場を置く
■1881年(明治14年)
 落石、昆布盛の二村を花咲郡に編入したが、行政区画のため
 現在の和田地区に編入。
 花咲村以下7カ村が根室支庁直轄となる。(歯舞地区)
■1882年(明治15年)
 開拓使役所を廃し根室県を置く。(札幌、函館とともに北海道三県分立時代)
■1885年(明治18年)
 根室屯田兵仮事務所を根室県庁内に設け、
 屯田兵移住地として本隊本部を置く。(和田地区)
■1886年(明治19年)
 廃県置庁とともに根室支庁となる。
 屯田兵440戸入地、和田村を建設。
 落石村、昆布村を管轄として和田村ほか二カ所戸長役場を設け事務開始。
 (和田地区)
■1887年(明治20年)
 支庁を廃し根室ほか9郡役所を置く。
 根室港波止場築設、花咲港検潮所創立。
■1890年(明治23年)
 10月15日:落石灯台点灯。
 11月1日:花咲灯台点灯。
■1897年(明治30年)
 官制の改正により根室ほか9郡役所を廃し、根室支庁を置く。
 税務署開設。
■1900年 (明治33年)
 7月1日:一級町村制が施行され根室町となる。
      穂香村、厚別村、幌茂尻村を入れ和田村ほか
      5カ村戸長役場と改める。(和田地区)
      初めて戸長役場を友知村に置き、
      花咲村を分離して友知以下6カ村を区域とする。(歯舞地区)
■1901年(明治34年)
 11月:戸長役場歯舞村に移転し、歯舞村ほか5カ村戸長とする。
    (歯舞地区)
■1906年(明治39年)
 4月:二級町村制が施行され、従来の村名を大字村名として和田村とする。
    同日、大字和田村の基本財産を兵村関係上、 東和田、西和田の
    特有部落財産制を設ける  (和田地区)
■1908年(明治41年)
 7月:根室町役場庁舎新築落成。
 12月:落石無線電信局送信所開設。
■1909年(明治42年)
 歯舞局電信事務開設。
 歯舞村に駅逓所設置。(当時唯一の交通機関)
■1910年(明治43年)
 根室港開港場に指定。
■1912年(明治45年)
 1月:根室漁業組合設立。
■1915年(大正4年)
 4月:二級町村制が施行され、歯舞村、友知村、沖根婦村、沖根辺村、
    婦羅理村、珸瑤瑁村を大字とする。
    初代村長藤惣治氏就任。(歯舞地区)
■1916年(大正5年)
 北海道水産試験場根支所設置。
■1919年(大正8年)
 11月:国鉄厚床駅開業。
■1921年(大正10年)
 鉄道開通、国鉄根室駅開業。
■1924年(大正13年)
 落石電報局及び根室受信所落成。
■1929年(昭和4年)
 根室拓殖鉄道株式会社の経営により歯舞~根室を結ぶ軌道が開通。
■1931年(昭和6年)
 根室公会堂建設。
 リンドバーグ夫婦、クリル各島に着陸、日本本土へ向かう。
■1937年(昭和12年)
 4月1日:貝殻島灯台点灯。
■1945年(昭和20年)
 7月15日:戦災により中心部8割を焼失する。
 8月15日:太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦によりクリル諸島、
      国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島をソ連に占領される。
 12月1日:安藤石典根室町長(故人)は、北方領土を米軍の保障占領下に
        置いてほしいと連合軍司令官マッカーサー元師に陳情。
     (陳情第一号)
■1946年(昭和21年)
 4月30日:渡辺雄吉氏所有の第二暁丸(16トン)が多楽島付近で
      ソ連にだ捕される。(だ捕第一号)
■1951年(昭和26年)
 9月1日:根室町警察署を維持しないことについての住民投票が行われ、
      圧倒的多数で廃止と決まり、道警だけとなる。
■1952年(昭和27年)
 4月28日:対日平和条約発効とともに根室近海のマッカーサーライン消滅。
     以後日本の危険推定線と変わるが法的根拠なくだ捕事件が続く。
 8月25日:花咲灯台霧信号所鳴笛開始。
■1954年(昭和29年)
 5月10日:根室地方暴風雨,漁船乗組員191人遭難死亡,管内被害額7億円。
 5月30日:乗組員191人の合同葬儀が花咲小学校で行われる。
■1955年(昭和30年)
 6月14日:和田村開基70周年記念行事開催。
■1957年(昭和32年)
 8月1日:市制施行。根室町と和田村が合併して根室市が誕生
     (全道23番目、全国501番目)
     西田前和田村村長が市長職務執行者となる。
     市制施行記念式典実施。根室市役所厚床、和田支所開設。
 9月15日:市長、市議会議員選挙が行われ、初代市長に西村久雄氏当選。
  10月14日:市制施行記念式典実施。
■1958年(昭和33年)
 5月28日:貝殻灯台ソ連側で修理試験点灯。
 6月30日:根室市役所和田支所閉鎖。
 8月3日:市制施行記念行事として第1回根室~厚床間走行36キロ
     駅伝競争を実施。
■1959年(昭和34年)
 4月1日:歯舞村を根室市に編入合併。
     根室市建設5カ年計画・根室市総合開発5カ年計画策定。
 5月1日:労働会館開設。
 8月3日:根室駅舎改築落成。
 9月5日:根室港開港50周年。
 10月1日:落石ロラン局開局。
 11月2日:市立根室病院新築落成。
■1960年(昭和35年)
 5月1日:根室~沖縄1万キロ国民平和大行進根室を出発。
 5月10日:48度以南鮭鱒漁業危機突破全国大会開催。
 7月19日:厚床農事センター落成。
 7月20日:市役所納沙布出張所を開設。
 12月7日:ユルリ島灯台点灯。
 12月18日:根室高等学校新築落成。
■1961年(昭和36年)
 1月13日:根室営林署庁舎落成。
 4月1日:市立柏陵中学校新設開校。(市立根室中学校は光洋中学校と改称)
 6月30日:武徳殿落成。
 8月9日:金刀比羅神社創祀150年祭。
 8月28日:大量だ捕緊急対策住民大会を納沙布岬で開催。
 9月10日:市長、市議会議員選挙が行われ、市長に西村久雄氏再選。
■1962年(昭和37年)
 1月17日:根室支庁庁舎新築落成。
 2月17日:法務合同庁舎落成。
 5月1日:釧路、根室線一級国道に昇格。
 11月10日:市立柏陵中学校新築落成。
 12月27日:野付、風蓮道立自然公園に指定される。
■1963年(昭和38年)
 1月18日:安全操業陳情団一行出発。(西村市長ほか4人)
 6月18日:貝殻島水域コンブ採取協定締結交渉訪ソ代表団現地報告会及び
       操業証明書伝達式並びに協定締結感謝根室市民大会開催。
 6月19日:コンブ漁船18年ぶりの安全協定水域へ出漁。(280隻)
 7月16日:ローザノフ駐日ソ連公使一行当市視察のため来根。
 8月1日:浜中町の一部根室市に編入。
 9月4日:だ捕抑留漁船員全員帰国。(根室市関係帰還者89人)
■1963年(昭和38年)
 10月1日:ビノグラードフソ連大使、高崎大日本水産会会長一行
      視察のため来根。
 10月21日:低開発地域工業開発地域に指定される。
■1964年(昭和39年)
 4月1日:ノツカマップ灯台点灯。第2期根室市総合開発計画策定。(7ケ年)
 6月1日:し尿処理場運転開始。
 6月2日:根室農協、歯舞農協、和田主農協、厚床農協が合併して
    「根室農業協同組合」として発足。
 8月1日:「根室市の歌」制定。
 10月1日:NHK根室テレビ中継局開局。
 10月3日:市長選挙で2代目市長に横田俊夫氏当選。
 10月20日:納沙布岬に故高碕達之助氏顕彰碑建立。
 11月14日:千島会館落成。
■1965年(昭和40年)
 3月30日:都市計画用途地域の指定を受ける。
 4月27日:根室日ソ友好親善協会設立。
 9月12日:市議会議員選挙行われ、初の女性議員が誕生。
 12月10日:北方資料館落成。
■1966年(昭和41年)
 6月24日:ソ連邦イシコフ漁業大臣一行来根。
 8月28日:横田市長、ソ連本国を親善訪問のため根室を出発。
■1967年(昭和42年)
 1月1日:和田地区の地番改正実施。
 1月10日:勤労青少年ホーム落成開館。
 11月13日:HBC、STVテレビ根室中継局開局。
■1968年(昭和43年)
 1月23日:成央小学校落成。
 8月1日:開基100年記念事業を実施,市民憲章及び市旗制定,根室市史刊行。
 9月29日:市長選挙が行われ、横田俊夫氏再選。
■1969年(昭和44年)
 4月1日:根室市のシンボル制定。(花,木,鳥,スポーツ)
     第3期根室市総合開発計画策定。
 5月31日:文化センター落成。
 9月7日:市議会議員選挙行われる。
 11月19日:根室郵便局庁舎落成。
■1970年 (昭和45年)
 4月1日:市立根室西高等学校開校。
 12月20日:青少年センター落成。
 12月25日:火葬場新築落成。(穂香)
■1971年(昭和46年)
 4月1日:根室市役所落石支所廃止。
 10月30日:釧路地方裁判所根室支部庁舎落成。
■1972年(昭和47年)
 7月7日:根室商工会館落成。
 9月17日:市長選挙が行われ、市長に横田俊夫氏再選
 11月14日:老人福祉センター落成。
■1973年(昭和48年)
 6月17日:根室半島沖地震、(震度5、マグニチュード7.4)
      花咲港津波に襲われる。被害総額約18億円。
 7月13日:市役所庁舎落成。
 9月9日:市議会議員選挙行われる。
■1974年(昭和49年)
 4月1日:第4期根室市総合開発計画策定。 
     市立根室西高等学校、道立移管。
 9月29日:市長選挙行われ、3代目市長に寺嶋伊弉雄氏当選。
 10月15日:前根室市長横田俊夫氏死去、10月27日市民葬を行う。
 10月30日:根室市公民館落成。
 12月7~9日:第1回ソビエト友好展開催。(公民館)
■1975年(昭和50年)
 2月9日:市立厚床中学校落成。
 8月30日:第1回北方領土復帰促進少年弁論大会開催
 12月19日:アラスカ州・シトカ市と姉妹都市提携。
■1976年(昭和51年)
 4月24日:落石会館落成。
 10月19日:富山県黒部市と姉妹都市提携。
 12月19日:別当賀小学校落成。
■1977年(昭和52年)
 3月10日:昆布盛小学校落成。
 4月22日:200カイリ危機突破対策決起集会。(青少年センター)
 7月10日:第1回ねむろあやめ祭り開催。(北方原生花園)
 9月11日 :市議会議員選挙行われる。
 10月10日:第1回望郷マラソン開催。(納沙布岬)
 11月6日:市営テニスコートオープン。 
■1978年(昭和 53年)
 3月12日:和田小学校落成。
 4月1日:第5期根室市総合計画策定。
     根室、花咲港重要港湾の指定を受ける。
 4月10日:市立啓雲中学校開校式。(生徒537人)
 4月26日:北洋鮭・鱒漁獲量大幅減少。(42,500㌧)
      根室市経済危機突破市民総決起大会開催。
 5月4日:北洋鮭・鱒漁船出漁、中型船は30%の減船、
               小型鮭・鱒船は減トン問題でさみだれ出漁。
 8月20日:全国から3,000人が集まり、
     「全国民参加による北方領土返還要求大会」開催。
 9月10日:市長選挙行われ、寺嶋伊弉雄氏が再選。
 10月8日:第1回農業祭開催、8,000人の市民でにぎわう。
■1979年(昭和54年)
 1月30日:国後島、択捉島にソ連軍が常備軍を配置。
 2月1日:根室市水産加工技術研修センターオープン
 3月4日:市立厚床小学校校舎落成式、開校60周年記念式典開催。
 3月25日:市立別当賀中学校閉校式。(昭和26年開校)
 4月22日:日ソ鮭・鱒漁業交渉は、漁獲量42,500トン(昨年と同じ)、
      漁業協力費は、32 億5千万円(昨年17億6千万円)妥結。
 5月30日:根室保健所庁舎落成式行われる。
 6月3日:20年ぶりに金比刀羅神社境内で「さくら祭り」開かれる。
 6月20日:市営温水プールオープン。
 7月7日:寺嶋市長、萬屋市議会議長ら9人が姉妹都市シトカ市訪問に出発、
     友好を深め15日に帰国。
 9月8日:園田外務大臣来根、9日北方領土を視察。
 9月26日:色丹島にソ連地上軍が配置されているとの報道に寺嶋市長、
      萬屋市議会議長名で大平総理大臣、園田外務大臣らに
      ソ連軍の撤退を求める要請文を打電。
 10月8~9日:北方領土返還要求国際アピール委員会国連要請団
       (一行250人)がニューヨークで国連本部と各国国連代表に 
        領土返還を要請
■1980年(昭和55年)
 3月20日:根室文化服装専門学校が閉校。(昭和15年開校)
 3月26日:シトカ市のバラノフ:ブルーグラフ:バンドが来根、
      演奏会を開き市民と交流。
 4月1日:根室市厚床会館が開館。
 5月13日:初の根室市名誉市民に川端元治氏(根室漁業協同組合長)に
      決まる。
 6月24日:姉妹都市荻野黒部市長、伊東同市議会議長らが来根、
      友好を深める。
 8月1日:市民2,500人が参加して北方領土返還要求根室市民総決起大会が
     ときわ台公園で開かれる。北方館(納沙布)落成。
 9月17日:名誉市民川端元治氏死去。
 10月5日:関係者や市民1,200人が参列して、故川端元治氏の市葬
     (市と根室漁業協同組合、道水産会の合同葬)が行われる。
 10月16日:寺嶋市長は参議院外務委員会の
     「国際情勢等に関する件について」の参考人として出席。
 10月18日:戦後初の第1回根室種馬共進会が開かれ、120頭が参加。
      (川口馬亊公園)
 10月25日:伊東外務大臣が北方領土を視察。(外務大臣として3人目)
 11月21日:根室市上水道牧の内ダム完成。
■1981年(昭和56年)
 1月12日:資源保護のため花咲ガニの3年間禁漁が決まる。
 3月1日:共和小学校校舎落成式と開校83周年記念式典が行われる。
 5月11日:根室市じん芥焼却場が完成、竣工式を行う
 6月26日:道議会議長に地元選出の松浦義信氏が就任
 7月27日:衆議院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会の
      小沢貞孝委員長ら7人が北方領土を視察。
 8月1日:北方領土返還要求根室市民大会がときわ台公園で開催される。
 8月25日:ソ連邦と民間交渉中だった貝殻島周辺コンブ漁交渉が妥結。
 9月1日:貝殻島周辺コンブ漁に300隻が出漁。(5年ぶり)
 9月6日:市議会議員選挙行われる。
 9月10日:鈴木首相、現職首相として初めて北方領土を空陸から視察。
 9月12日:民社党北方領土調査団(佐々木良作委員長)19人が
      北方領土を視察。
 9月27日:納沙布岬の北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」が
      完成、除幕点火式を行う
 9月28日:寺嶋市長が北方領土復帰促進民間使節団の団長として、
      ニューヨーク、ワシントン、国連本部訪問のため出発。
 11月1日:千島歯舞諸島居住者連盟理事長の山下亮輔氏が死去(82歳)
 11月14日:雇用促進事業団の望洋宿舎が完成。
 12月12日:道道根室半島線の舗装工事(延長46㌔)の完成式が行われる。
 12月13日:市立温根元小学校落成式。
■1982年(昭和57年)
 2月23日:アラスカ州スワード市貿易使節団が来根。
 5月22日:田辺国男総理府総務長官が北方領土視察。
 5月26日:松野幸泰北海道開発庁長官が市内、北方領土視察。
 6月1日:貝殻島周辺コンブ漁出漁。
 7月25日:札幌交響楽団のグリーンコンサートが明治公園で開かれる。
 8月31日:北方領土問題等の解決の促進のための特別設置に関する法律
     (北方領土隣接地域振興基金)が公布。
 9月19日:根室市長選挙で寺嶋伊弉雄氏3選される。
 10月4日:参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員が北方領土を視察。
■1983年(昭和58年)
 3月31日:明治公園完成。あさひ保育所閉所。
 5月2日:落石へき地保育開所。
 7月5日:衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会が北方領土を視察。
 8月20日:安倍外務大臣北方領土を視察。
 9月1日:北海道市長会秋季助役会議総会、根室市で開催。
 9月30日:ときわ台公園に、モニュメント像設置。
 10月19日:友知漁港完成、通水式行われる。
■1984年(昭和59年)
 1月28日:落石小学校校舎落成式と開校90周年記念式が落石小学校で
      行われる。
 3月20日:ヘリコプターによる初の遊覧飛行が行われる。
 4月1日:根室市観光物産センターが納沙布岬にオープン。
 7月7日:「あけぼのゲートボールコート」が完成。
 8月30日:民放ラジオ局(HBC、STV)相次いで開局。
 9月8.9日:「長節湖水祭り」が11年ぶりに開催。
 9月14.15日:「根室かにまつり」が4年ぶりに、ときわ台公園で開催。
 10月31日:重要港湾根室港の本格着工に伴う修祓式が花咲岬で行われる。
■1985年(昭和60年)
 5月2日:北洋鮭鱒漁業危機突破緊急根室市民大会が根室漁協市場
      で開かれる。
 5月25日:「議員定数を減少する条例についての公聴会」が商工会館で
       開かれる。
 5月26日:北方館の入館者200万人達成。
 7月12日:後藤田総務庁長官北方領土視察。(~13日)
 8月4日:作詞家(故)高橋掬太郎氏と作曲家飯田三郎氏の業績をたたえる
      音楽碑「ここに幸あり」の除幕式が行われる。
 8月22日:古屋自治大臣が北方領土を視察。
 8月25日:北方領土返還要求根室管内住民大会が望郷の岬公園で開催。
 8月28日:下水終末処理場の通水式が行われ、下水道が供用開始される。
 9月29日:第1回根室市小学生陸上競技大会開かれる
 10月5日:第1回根室産業フェスティバル開催。
■1986年(昭和61年)
 1月16日:日ソ漁業交渉危機突破緊急根室市民大会開催。
 3月1日:納沙布岬で千葉県のカップルが初の流氷結婚式を挙げる。
 4月18日:羽田農林水産大臣が北洋漁業危機現地視察
 6月8日:和田屯田開基100年記念式典が和田小学校で行われる。
 7月1日:市役所内に北洋漁業対策室を設置。
 9月4日:観測開始以来の大雨。(被害額1億7千2百万円)
 9月16日:根室市環境センターオープン。
 9月21日:市長選挙が行われ、4代目市長に大矢快治氏当選。
■1987年(昭和62年)
 1月11日:沖縄派遣団の少年少女が根室を出発。
 3月9日:重要港湾花咲港区が貿易指定開港(4月1日)に決定となる。
 5月15日:北方領土特別設置法の一部改正案、衆議院で可決される。
      (振興基金5カ年延長)
 8月1日:市制施行30周年記念式典が公民館で開催。
 8月26日:「国土開発幹線自動車道建設法」が一部改正、釧路、根室間
       高規格幹線道路が国土開発幹線自動車道に編入される。
 9月14日:皇太子殿下御夫妻が初の根室地方を御視察。
 11月21日:貝殻島周辺ウニ漁の日ソ民間協定交渉妥結。
■1988年(昭和63年)
 3月31日:初田牛小学校廃校となる。(昭和22年開校)
 4月1日:第6期根室市総合計画策定。
 4月10日:濱谷公宏氏が初の市民栄誉賞を受賞する。
      根室市温水プール新築オープン。「スポーツ・健康都市」を宣言。
 4月17.18日:宇野外務大臣北方領土視察。
 7月15日:日ソ合弁事業見返りソ連200カイリ内鮭鱒出漁。(32隻)
 11月22日:「サイロのある明治公園」が、北海道まちづくり100選に
       選定される。
■1989年( 平成元年)
 8月22~27日:第12回北方領土墓参実施。
                        第1班 国後島古釜島19ぶり、
                        第2班 色丹島、多楽島、志発島を墓参
 10月26日:「第1回北方領土フォーラム」開催。(以降毎年開催)
■1990年(平成2年)
 3月27日:北方領土「四島の開発プラン」表彰式。
 6月14日:大矢市長「ロシヤ連邦共和国訪問北海道代表団」の一員として
      訪ソ。
 8月24日~9月2日:第13回北方領土墓参実施。
          第1班、国後島乳呑路、泊、志発島を墓参
          第2班、択捉島留別、色丹島を墓参
          第3班、択捉島紗那、蘂取を墓参
          なお、択捉島は戦後初めての実施。
■1991年(平成3年)
 4月16~19日:ゴルバチョフ大統領、ソ連最高首脳として史上初めて来日。
 8月17日:サハリン州の小中学生及び引率者(計67人)花咲港に入港
     (四島在住者含む)
 8月22~27日:第14回北方領土墓参実施。
        第1班 色丹島ノトロ、択捉島蘂取、別飛、内保を墓参
        第2班 国後島植内、歯舞群島勇留島トコマを墓参
        第3班 国後島東佛騰を墓参
 8月26日:外務省ソ連課長による日ソ交渉経過説明会。
 10月14日:モスクワでの中山、パンキン外相会談でビザなし渡航合意。
 11月17~23日:大矢市長、「北方領土相互理解促進対話、交流使節団」
         副団長として訪ソ。
 12月3~5日:ロシア、ソビエト連邦社会主義共和国ロシアテレビ公社が
       北方領土問題取材のため来根。
■1992年(平成4年)
 4月1日:根室市役所に国際交流課新設。
 4月22~27日:北方四島在住島民、ロシア側ビザなし交流団花咲港に
        歴史的な第1歩。
       (第1陣19人が来道今年度、全6陣で268人が来道)
 5月11日~17日:北方四島への日本側ビザなし渡航実施。
        (日本からの第1陣45人が国後島、色丹島、択捉島を訪問。
         今年度、全268人渡航)
 5月30日:根室市北方領土返還要求推進協議会会長に河原勝治氏選出。
 8月19日:第1回北方領土問題教育指導者研修会開催。(以降毎年開催)
 8月22~26日:第15回北方領土墓参実施。
■1993年(平成5年)
 2月7日:北方領土の日啓発無線交信事業開催。
 4月22~26日:北方四島からビザなし交流団第1陣46人が来道。
       (今年度、全8陣で406人が来道)
 5月14~16日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
       (日本からの第1陣47人が国後島、色丹島、択捉島を訪問。
        今年度、全9陣で418人渡航)
 8月22~25日:第16回北方領土墓参実施。
 10月8日:北方領土返還要求署名運動6千万人達成。
 10月11日:エリツィン大統領来日。
 10月12日: 「東京宣言」「経済宣言」に日ロ首脳が調印。
        北方領土問題については交渉対象として四島の名前が
        明記された。
 11月26日:カレイ刺し網漁船第68由貴丸の能登敬一船長が、
       納沙布岬沖で国境警備隊による銃撃を受け左足を負傷、
       だ捕される。
■1994年(平成6年)
 1月9日:ロシア北方四島行政関係者7人がビザなし訪問。(花咲港に入港)
 1月26~27日:北千島、セベロクリーリスク市の代表団来根。
        根室市との姉妹都市提携に調印。
 4月5日:ポキージン南クリール地区長が根室市に対し北方領土水域での
     民間協定による漁業協力を提案。
 4月18日:ビザなし渡航の特別措置として、銃撃を受けだ捕された
      第68由貴丸、能登敬一船長への面会のため親族3名、
      外務省職員、医師が色丹島アナマに向けて出発。
 4月22~27日:北方四島からビザなし交流団第1陣70人が来道。
       (今年度、全6陣で342人が来道)
 5月11~13日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
       (日本からの第1陣48人が訪問。今年度全7陣で324人渡航)
 7月4~8日:初の北隣協主催による、日本側ビザなし訪問実施。
       (団長大矢根室市長、計45名)
 8月15日:カニかご漁船第38由貴丸の名越憲和甲板員が秋勇留島沖で
      国境警備隊による銃撃を受け負傷、だ捕される。
 8月22~24日:第17回北方領土墓参実施。
 10月4日:根室東方沖でマグネチュード7.8の地震が発生。
      釧路、根室地方はもとより北方四島も甚大なる被害を受ける。
     (北海道東方沖地震)。
      カレイ刺し網漁船の第68宝来丸が秋勇留島沖で国境警備隊による
      銃撃を受け沈没。浅井雄一船長他2名がだ捕される。
 10月6日:北方領土返還要求運動連絡協議会(北連協)が北海道東方沖地震
      で被災した北方四 島在住ロシア人を救済するため、
     「北方領土島民救済委員会」を設置。
 10月15~17日:政府、北海道、民間団体による北方領土への人道支援訪問団
        が根室港を出港(国後島、色丹島、択捉島を支援)
■1995年(平成7年)
 1月23日:ロシア北方四島行政関係者6人がビザなし訪問。(花咲港に入港)
 4月23~28日:北方四島からビザなし交流団第1陣73人が来道。
       (今年度、全7陣で426人が来道)
 5月6日:ロシア国境警備隊にだ捕、抑留されていた第58海栄丸の久保田金蔵
     船長と第83金徳丸の寺沢則昭漁労長が釈放。
     これにより、ロシアに抑留されている日本人は約2年ぶりに
     ゼロとなる。
 5月19~23日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
       (日本からの第1陣46人が訪問。
        今年度、全8陣で371人渡航)
       [平成7年度より国会議員が訪問団顧問として参加、
       第1陣に鈴木宗男衆院議員、坪井一宇参院議員が参加した]
 6月7日:衆参両院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会が北方領土問題の
     解決促進に関する決議を採決。
 7月5~7日:平成7年度第1回の政府人道支援物資が出港
       (国後島、色丹島を支援)
 7月15~16日:ロシア人、イズベスチヤ紙のオットーラツィス論説委員が
        北方領土問題取材のため来根。
 8月6日:北方領土返還要求現地根室大会並びに根室市民のつどい開催。
     (50年大会・市民パレード実施)
 8月13~18日:第18回北方領土墓参実施。
 9月8日:ロシア連邦院国際問題委員会一行(7名)が来根、
     北方領土を視察。
 9月10日:北方四島物故者記追悼50年祭開催。
 10月5日:平成6年10月の北海道東方沖地震による人道援助の一環として
      色丹島に建設中の仮設診療所が完成。
■1996年(平成8年)
 1月22日:ロシア北方四島行政関係者6人がビザなし訪問。
     (花咲港入港)
 3月25日:根室市が元島民の手記による北方領土50年史を発刊。
 4月3日:北方水域操業自粛ラインが1977(昭和52年)年の2百カイリ
     暫定措置法の施行に伴う旧ラインの設定以来19年ぶりに改定される。
 4月18~23日:北方四島からビザなし交流団第1陣69人が来道。
       (今年度、全6陣で413人が来道)
 5月25~27日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
       (日本からの第1陣48人が訪問。
        今年度、全9陣で422人渡航)
 6月21日:「北方水域旧漁業者等に対する特別措置に関する法律の一部を
       改定する法律案」が 通常国会で可決され、
       これにより元島民と旧漁業権者に限られていた北対協資金の
       融資資格が、一定の要件を満たして生前継承をとることに
       よって、子供や孫にも適用されるようになる。(10月1日施行)
 7月23日:チジョフ駐日ロシア大使が来根、北方領土を視察
     (駐日大使の来根は33年ぶり)
 8月20日:日本の人道援助の一環として色丹島アナマに建設中の小学校が完成。
 8月25~9月1日:第18回北方領土墓参実施。
 8月28日:根室市内の漁船(第52多喜丸、第28昭久丸)が操業中に
      銃撃を受け、船長が負傷する。
 10月1日:「北方地域旧漁業者等に対する特別措置に関する法律の一部を
       改正する法律」施行。
 10月12日:根室市内のサンマ漁船がロシア国境警備隊の臨検を受け、
       乗組員5名がだ捕される。
       根室海峡における日本漁船のだ捕は1994年10月4日以来。)
■1997年(平成9年)
 3月6日:エリツィン・ロシア大統領が年次教書を発表し、北方領土の
     日ロ共同開発を含むあらゆる面で日本との協力を進める
     用意があることを表明。 
 3月25日:歯舞群島・水晶島にある所有地の登記内容変更を法務局に
      却下された根室市の元島民・舛潟喜一郎氏が却下取消を求めた
     「北方領土登記変更訴訟(舛潟訴訟)」の判決で、
      釧路地裁は「北方領土内の土地は登記の対象であり、
      登記官が現地調査できなくても権利変動の登記を受け付ける
      ことができる」として、法務局側に却下取消を命じる
     (法務局側はこの判決を不服として4月7日に札幌高裁に控訴、
      現在も係争中)
 4月24日:ブルブリス・ロシア国会院議員が来根、北方領土を視察。
 4月23~28日:北方四島からビザなし交流団第1陣が来道。
         (今年度、全8陣)
 5月19~23日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
         (日本からの第1陣が訪問。今年度、全11陣)
 5月19~23日:堀達也北海道知事が北方領土を訪問。
 6月6~7日:「日ロ友好と北方領土」討論会出席のため、
        アレクサンドル・パノフ駐日ロシア大使と
        孫﨑享北海道担当特命全権大使が来根。
 6月25日:納沙布岬沖合の日ロ中間ライン付近で操業中のカレイ刺し網漁船
      第63栄幸丸がロシア国境警備隊の銃撃を受け乗組員2名が負傷。
 8月25~28日:第19回北方領土墓参実施。
 8月27日:日本側ビザなし訪問団が根室港を出港、
      今後は日本側訪問団に限り根室港からの出入港が認められる。
 8月30日~9月1日:第19回北方領土墓参実施。
 9月30日:丹波実外務省審議官が第6回ビザなし訪問団に同行、
      外務省高官の北方領土訪問は初めて。
 11月1~2日:ロシアのクラスノヤルスクで日ロ非公式首脳会談が行われ、
       「1993年の東京宣言に基づき2000年までに平和条約を
        締結するよう全力を尽くす」ことで合意。
 11月13日:日ロ定期外相会談で、小渕・ポリマコフ両外相が
       日ロ平和条約締結に向け両外相を加えた交渉グループを
       新たに設置することで合意。
 12月15日:北方四島人道支援の一環として建設中の自航式はしけである
      「希望丸」(80トン)が完成。(引渡式は2月2日)
 12月30日:北方四島周辺海域での日本漁船操業枠組み交渉第13回協議が
       妥結し協定文書の合意内容を確認する覚書に日ロ両国代表が
       調印。
■1998年(平成10年)
 1月22日:平成9年11月のクラスノヤルスク合意を受けた初の日ロ外務次官
      級協議がモスクワで 開催、両国外相を委員長とする
     「平和条約締結問題日ロ合同委員会」を設置することで合意、
      また、ロシア側は北方四島の共同経済活動を提案。
 2月7日:北対協及び根室市、北方領土啓発ホームページを開設。
     (http://www.hoppou.go.jp)
 2月21日:小渕外相訪ロ、モスクワで北方領土周辺水域における日本漁船の
      安全操業協定に調印。
 4月1日:根室市、機構改革で北方領土対策室を新設。
 4月17日:政府、北方領土へのビザなし渡航者を制限していた1991年10月の
      閣議了解を変更し、従来の渡航対象者に加え、
     「学術,文化,社会等の各分野の専門家」も対象とすることを決定。
 4月18~19日:静岡県・川奈で日ロ非公式首脳会談開催。
        日ロ平和条約について
       「東京宣言に基づき北方四島の帰属問題の解決を内容とし、
        21世紀に向けての日ロ友好協力の原則を盛り込んだ
        ものとなるべき」との考えで一致。
 4月24日:「北方領土登記訴訟」の原告で元島民(水晶島出身)、
       舛潟喜一郎氏が死去、94歳。
 5月15~20日:北方四島からビザなし交流団第1陣が来日。
       (今年度、全9陣、うち来道6陣)
 5月17~20日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
        (日本からの第1陣が訪問。今年度、全12陣)
 6月4~8日:第一回北方四島墓地現調査 (国後島)
 6月18~22日:第二回北方四島墓地現地調査(色丹、多楽、秋勇留島)
 6月23日:政府人道支援による国後島・古釜布桟橋改修の目録贈呈のため、
      鈴木北海道開発庁長官が現職官僚として初めて
      国後、択捉島を訪問。
 6月26日:歯舞群島・水晶島沖で歯舞漁協所属のサケ・マス流し網漁船
     (乗組員八名)がロシア国境警備隊にだ捕される。
     (7月1日釈放され、帰港)
 6月29日:東郷和彦外務相総括審議官が来根。
 7月10日:歯舞群島・水晶島沖のロシア主張領海内で
      根室のサンマ棒受け漁船(乗組員一名)が
      ロシア国境警備隊にだ捕される。(7月13日釈放)
 7月21日:北海道の事業、北方四島交流施設が市内穂香で着工される。
 7月27日:「北方領土登記訴訟」の原告の舛潟喜一郎氏が4月に
      死去したことに伴い、原告弁護団が長男の訴訟継承を
      札幌高裁に申し立てる。
 8月4日:ビザなし渡航による日ロ双方の訪問者数が平成4年4月の実施以来
     5千人を突破する
 8月17~31日:第21回北方領土墓参実施。
 10月3日:政府、ビザなし交流で99年度から教員、地質学者を派遣し、
      専門家交流を大幅に拡大する方針を決定。
 11月11~13日:小渕首相ロシアを公式訪問、エリツィン大統領と会談し、
        国境確定委員会及び共同経済活動委員の設置、
        元島民の北方四島への自由往来などで合意。
        また、両首脳は「モスクワ宣言」に署名し、
        クラスノヤルスク及び川奈合意に基づき
       「2000年までの日ロ平和条約締結に全力を尽くすとの決意」
        が日ロ間の公式文書で初めて確認される。
■1999年(平成11年)
 1月18日:根室と国後島間に設定されていた通信用「海底ケーブル」の
       一部引き揚げられた。
 5月4日:太田誠一総務庁長官は北方領土視察。
 5月21~24日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
         (日本からの第1陣が訪問。今年度、全16陣 )
 5月26日:藤原市長「ビザなし交流訪問団団長」としてビザなし交流に
       初参加。
 6月3~8日:北方四島からビザなし交流団第1陣が来日。
       (今年度、全8陣、うち来道5陣)
 6月9~15日:第1班 北方四島墓地現地調査(国後島、択捉島)
 6月30~7月7日:第2班 北方四島墓地現地調査(択捉島)
 7月29日:「北方領土・国後島『爺爺岳』専門家交流訪問団」出港。
 8月6日:択捉島ラッコ専門家交流訪問団」出港。
 8月25日~28日:第22回北方領土墓参実施。
 9月11日~12日:98年の日ロ首脳会談で合意された、
           北方四島への元島民、家族による初の
         「北方領土自由訪問」第1陣が志発島へ出発。
 10月20日:北方領土返還要求全国キャラバンの東日本コースが
      根室市役所前から出発する。
 10月24日:国後島古釜布に緊急避難所兼宿泊施設
      「日本人とロシア人の友好の家」が完成。
      現地で完成式典が行われる。
 11月1日:道立北方四島交流センターの愛称が「ニ・ホ・ロ」に決定する。
■2000年(平成12年)
 2月7日:道立北方四島交流センターがオープンする。
 2月20日:北方領土フォーラム「新世紀を超える北方四島の将来」が
       北方四島交流センターで開催。
 4月21日:根室市南沖の日本200海里内で宮城県の漁船がロシア警備隊
      に銃撃され、だ捕される。
 5月12日:続訓弘総務庁長官が北方領土を視察。
 5月24日:「国後シマフクロウ専門家交流訪問団」(日本側)が
       国後島でシマフクロウの生態調査をおこなう。
 5月28日:羅臼町のタラ漁船が択捉島西側でロシア国境警備隊に
     だ捕される。
 6月18日:「北方四島・海獣類と鳥類専門家交流訪問団」が出発する。
 8月9日:第23回北方領土墓参実施。
 8月23日:森田一運輸大臣、北海道開発庁長官が北方領土を視察。
 8月24日:羽田孜幹民主党幹事長がビザなし交流に首相経験者として
     初参加。
 9月3日:プーチン・ロシア大統領が来日。日ロ首脳会談が開かれる。
     領土問題解決による日ロ平和条約の締結について交渉継続
     するとした共同声明を発表。
 9月14日:続訓弘総務庁長官がビザなし交流に参加。
 10月1日:「北方四島返還要求国民集会inNEMURO」が
       納沙布岬の望郷の岬公園で行われる。
 11月15日:「衆議院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会」に
       藤原根室市長ら3人が意見陳述。
 11月27日:全国の北方領土返還要求運動都道府県民会議、
      北方領土元居住者らを対象にした
     「北方領土返還要求運動関係者特別集会」が
      北方四島交流センターで開催される。 

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いつにまにか

 どうも、管理人の朔風太郎です。 いつの間にか、このサイトの作成から1年が経ちました。 途中で、著作権の問題から一旦更新をストップしておりました。   気付けば観覧数10000回が越えておりました。 本当に有難うございます。   今後につきましては、今現在考え中です。 根室新聞さ...