なお、択捉島は戦後初めての実施。
■1991年(平成3年)
4月16~19日:ゴルバチョフ大統領、ソ連最高首脳として史上初めて来日。
8月17日:サハリン州の小中学生及び引率者(計67人)花咲港に入港
(四島在住者含む)
8月22~27日:第14回北方領土墓参実施。
第1班 色丹島ノトロ、択捉島蘂取、別飛、内保を墓参
第2班 国後島植内、歯舞群島勇留島トコマを墓参
第3班 国後島東佛騰を墓参
8月26日:外務省ソ連課長による日ソ交渉経過説明会。
10月14日:モスクワでの中山、パンキン外相会談でビザなし渡航合意。
11月17~23日:大矢市長、「北方領土相互理解促進対話、交流使節団」
副団長として訪ソ。
12月3~5日:ロシア、ソビエト連邦社会主義共和国ロシアテレビ公社が
北方領土問題取材のため来根。
■1992年(平成4年)
4月1日:根室市役所に国際交流課新設。
4月22~27日:北方四島在住島民、ロシア側ビザなし交流団花咲港に
歴史的な第1歩。
(第1陣19人が来道今年度、全6陣で268人が来道)
5月11日~17日:北方四島への日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣45人が国後島、色丹島、択捉島を訪問。
今年度、全268人渡航)
5月30日:根室市北方領土返還要求推進協議会会長に河原勝治氏選出。
8月19日:第1回北方領土問題教育指導者研修会開催。(以降毎年開催)
8月22~26日:第15回北方領土墓参実施。
■1993年(平成5年)
2月7日:北方領土の日啓発無線交信事業開催。
4月22~26日:北方四島からビザなし交流団第1陣46人が来道。
(今年度、全8陣で406人が来道)
5月14~16日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣47人が国後島、色丹島、択捉島を訪問。
今年度、全9陣で418人渡航)
8月22~25日:第16回北方領土墓参実施。
10月8日:北方領土返還要求署名運動6千万人達成。
10月11日:エリツィン大統領来日。
10月12日: 「東京宣言」「経済宣言」に日ロ首脳が調印。
北方領土問題については交渉対象として四島の名前が
明記された。
11月26日:カレイ刺し網漁船第68由貴丸の能登敬一船長が、
納沙布岬沖で国境警備隊による銃撃を受け左足を負傷、
だ捕される。
■1994年(平成6年)
1月9日:ロシア北方四島行政関係者7人がビザなし訪問。(花咲港に入港)
1月26~27日:北千島、セベロクリーリスク市の代表団来根。
根室市との姉妹都市提携に調印。
4月5日:ポキージン南クリール地区長が根室市に対し北方領土水域での
民間協定による漁業協力を提案。
4月18日:ビザなし渡航の特別措置として、銃撃を受けだ捕された
第68由貴丸、能登敬一船長への面会のため親族3名、
外務省職員、医師が色丹島アナマに向けて出発。
4月22~27日:北方四島からビザなし交流団第1陣70人が来道。
(今年度、全6陣で342人が来道)
5月11~13日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣48人が訪問。今年度全7陣で324人渡航)
7月4~8日:初の北隣協主催による、日本側ビザなし訪問実施。
(団長大矢根室市長、計45名)
8月15日:カニかご漁船第38由貴丸の名越憲和甲板員が秋勇留島沖で
国境警備隊による銃撃を受け負傷、だ捕される。
8月22~24日:第17回北方領土墓参実施。
10月4日:根室東方沖でマグネチュード7.8の地震が発生。
釧路、根室地方はもとより北方四島も甚大なる被害を受ける。
(北海道東方沖地震)。
カレイ刺し網漁船の第68宝来丸が秋勇留島沖で国境警備隊による
銃撃を受け沈没。浅井雄一船長他2名がだ捕される。
10月6日:北方領土返還要求運動連絡協議会(北連協)が北海道東方沖地震
で被災した北方四 島在住ロシア人を救済するため、
「北方領土島民救済委員会」を設置。
10月15~17日:政府、北海道、民間団体による北方領土への人道支援訪問団
が根室港を出港(国後島、色丹島、択捉島を支援)
■1995年(平成7年)
1月23日:ロシア北方四島行政関係者6人がビザなし訪問。(花咲港に入港)
4月23~28日:北方四島からビザなし交流団第1陣73人が来道。
(今年度、全7陣で426人が来道)
5月6日:ロシア国境警備隊にだ捕、抑留されていた第58海栄丸の久保田金蔵
船長と第83金徳丸の寺沢則昭漁労長が釈放。
これにより、ロシアに抑留されている日本人は約2年ぶりに
ゼロとなる。
5月19~23日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣46人が訪問。
今年度、全8陣で371人渡航)
[平成7年度より国会議員が訪問団顧問として参加、
第1陣に鈴木宗男衆院議員、坪井一宇参院議員が参加した]
6月7日:衆参両院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会が北方領土問題の
解決促進に関する決議を採決。
7月5~7日:平成7年度第1回の政府人道支援物資が出港
(国後島、色丹島を支援)
7月15~16日:ロシア人、イズベスチヤ紙のオットーラツィス論説委員が
北方領土問題取材のため来根。
8月6日:北方領土返還要求現地根室大会並びに根室市民のつどい開催。
(50年大会・市民パレード実施)
8月13~18日:第18回北方領土墓参実施。
9月8日:ロシア連邦院国際問題委員会一行(7名)が来根、
北方領土を視察。
9月10日:北方四島物故者記追悼50年祭開催。
10月5日:平成6年10月の北海道東方沖地震による人道援助の一環として
色丹島に建設中の仮設診療所が完成。
■1996年(平成8年)
1月22日:ロシア北方四島行政関係者6人がビザなし訪問。
(花咲港入港)
3月25日:根室市が元島民の手記による北方領土50年史を発刊。
4月3日:北方水域操業自粛ラインが1977(昭和52年)年の2百カイリ
暫定措置法の施行に伴う旧ラインの設定以来19年ぶりに改定される。
4月18~23日:北方四島からビザなし交流団第1陣69人が来道。
(今年度、全6陣で413人が来道)
5月25~27日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣48人が訪問。
今年度、全9陣で422人渡航)
6月21日:「北方水域旧漁業者等に対する特別措置に関する法律の一部を
改定する法律案」が 通常国会で可決され、
これにより元島民と旧漁業権者に限られていた北対協資金の
融資資格が、一定の要件を満たして生前継承をとることに
よって、子供や孫にも適用されるようになる。(10月1日施行)
7月23日:チジョフ駐日ロシア大使が来根、北方領土を視察
(駐日大使の来根は33年ぶり)
8月20日:日本の人道援助の一環として色丹島アナマに建設中の小学校が完成。
8月25~9月1日:第18回北方領土墓参実施。
8月28日:根室市内の漁船(第52多喜丸、第28昭久丸)が操業中に
銃撃を受け、船長が負傷する。
10月1日:「北方地域旧漁業者等に対する特別措置に関する法律の一部を
改正する法律」施行。
10月12日:根室市内のサンマ漁船がロシア国境警備隊の臨検を受け、
乗組員5名がだ捕される。
根室海峡における日本漁船のだ捕は1994年10月4日以来。)
■1997年(平成9年)
3月6日:エリツィン・ロシア大統領が年次教書を発表し、北方領土の
日ロ共同開発を含むあらゆる面で日本との協力を進める
用意があることを表明。
3月25日:歯舞群島・水晶島にある所有地の登記内容変更を法務局に
却下された根室市の元島民・舛潟喜一郎氏が却下取消を求めた
「北方領土登記変更訴訟(舛潟訴訟)」の判決で、
釧路地裁は「北方領土内の土地は登記の対象であり、
登記官が現地調査できなくても権利変動の登記を受け付ける
ことができる」として、法務局側に却下取消を命じる
(法務局側はこの判決を不服として4月7日に札幌高裁に控訴、
現在も係争中)
4月24日:ブルブリス・ロシア国会院議員が来根、北方領土を視察。
4月23~28日:北方四島からビザなし交流団第1陣が来道。
(今年度、全8陣)
5月19~23日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣が訪問。今年度、全11陣)
5月19~23日:堀達也北海道知事が北方領土を訪問。
6月6~7日:「日ロ友好と北方領土」討論会出席のため、
アレクサンドル・パノフ駐日ロシア大使と
孫﨑享北海道担当特命全権大使が来根。
6月25日:納沙布岬沖合の日ロ中間ライン付近で操業中のカレイ刺し網漁船
第63栄幸丸がロシア国境警備隊の銃撃を受け乗組員2名が負傷。
8月25~28日:第19回北方領土墓参実施。
8月27日:日本側ビザなし訪問団が根室港を出港、
今後は日本側訪問団に限り根室港からの出入港が認められる。
8月30日~9月1日:第19回北方領土墓参実施。
9月30日:丹波実外務省審議官が第6回ビザなし訪問団に同行、
外務省高官の北方領土訪問は初めて。
11月1~2日:ロシアのクラスノヤルスクで日ロ非公式首脳会談が行われ、
「1993年の東京宣言に基づき2000年までに平和条約を
締結するよう全力を尽くす」ことで合意。
11月13日:日ロ定期外相会談で、小渕・ポリマコフ両外相が
日ロ平和条約締結に向け両外相を加えた交渉グループを
新たに設置することで合意。
12月15日:北方四島人道支援の一環として建設中の自航式はしけである
「希望丸」(80トン)が完成。(引渡式は2月2日)
12月30日:北方四島周辺海域での日本漁船操業枠組み交渉第13回協議が
妥結し協定文書の合意内容を確認する覚書に日ロ両国代表が
調印。
■1998年(平成10年)
1月22日:平成9年11月のクラスノヤルスク合意を受けた初の日ロ外務次官
級協議がモスクワで 開催、両国外相を委員長とする
「平和条約締結問題日ロ合同委員会」を設置することで合意、
また、ロシア側は北方四島の共同経済活動を提案。
2月7日:北対協及び根室市、北方領土啓発ホームページを開設。
(http://www.hoppou.go.jp) 2月21日:小渕外相訪ロ、モスクワで北方領土周辺水域における日本漁船の
安全操業協定に調印。
4月1日:根室市、機構改革で北方領土対策室を新設。
4月17日:政府、北方領土へのビザなし渡航者を制限していた1991年10月の
閣議了解を変更し、従来の渡航対象者に加え、
「学術,文化,社会等の各分野の専門家」も対象とすることを決定。
4月18~19日:静岡県・川奈で日ロ非公式首脳会談開催。
日ロ平和条約について
「東京宣言に基づき北方四島の帰属問題の解決を内容とし、
21世紀に向けての日ロ友好協力の原則を盛り込んだ
ものとなるべき」との考えで一致。
4月24日:「北方領土登記訴訟」の原告で元島民(水晶島出身)、
舛潟喜一郎氏が死去、94歳。
5月15~20日:北方四島からビザなし交流団第1陣が来日。
(今年度、全9陣、うち来道6陣)
5月17~20日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。
(日本からの第1陣が訪問。今年度、全12陣)
6月4~8日:第一回北方四島墓地現調査 (国後島)
6月18~22日:第二回北方四島墓地現地調査(色丹、多楽、秋勇留島)
6月23日:政府人道支援による国後島・古釜布桟橋改修の目録贈呈のため、
鈴木北海道開発庁長官が現職官僚として初めて
国後、択捉島を訪問。
6月26日:歯舞群島・水晶島沖で歯舞漁協所属のサケ・マス流し網漁船
(乗組員八名)がロシア国境警備隊にだ捕される。
(7月1日釈放され、帰港)
6月29日:東郷和彦外務相総括審議官が来根。
7月10日:歯舞群島・水晶島沖のロシア主張領海内で
根室のサンマ棒受け漁船(乗組員一名)が
ロシア国境警備隊にだ捕される。(7月13日釈放)
7月21日:北海道の事業、北方四島交流施設が市内穂香で着工される。
7月27日:「北方領土登記訴訟」の原告の舛潟喜一郎氏が4月に
死去したことに伴い、原告弁護団が長男の訴訟継承を
札幌高裁に申し立てる。
8月4日:ビザなし渡航による日ロ双方の訪問者数が平成4年4月の実施以来
5千人を突破する
8月17~31日:第21回北方領土墓参実施。
10月3日:政府、ビザなし交流で99年度から教員、地質学者を派遣し、
専門家交流を大幅に拡大する方針を決定。
11月11~13日:小渕首相ロシアを公式訪問、エリツィン大統領と会談し、
国境確定委員会及び共同経済活動委員の設置、
元島民の北方四島への自由往来などで合意。
また、両首脳は「モスクワ宣言」に署名し、
クラスノヤルスク及び川奈合意に基づき
「2000年までの日ロ平和条約締結に全力を尽くすとの決意」
が日ロ間の公式文書で初めて確認される。
■1999年(平成11年)
1月18日:根室と国後島間に設定されていた通信用「海底ケーブル」の
一部引き揚げられた。
5月4日:太田誠一総務庁長官は北方領土視察。
5月21~24日:北方四島、日本側ビザなし渡航実施。